中学時代の卒業アルバム「20 年後の私」を書く欄。 あの日私は「女優」と書きました。
私は幼少期からとても内気でのんびり屋で計算ドリルが人の 3 倍かかり、運動もできず大縄跳びは私が入れば必ず止まるので入れてもらえなかった記憶があります。
勉強も運動もできなかった私が、小さな頃出会ったのがお芝居でした。
学芸会の練習のとき
先生が「なりきって一生懸命やりなさい」と言いました。
私の父は教師だったので
先生の言うことはしっかり守る真面目な生徒でした。
同級生は「恥ずかしい」と
誰一人なりきることはせず
ただ真面目に、先生に言われた通りにやっただけの私が
スポットライトを浴びました。
勉強も運動もできなかったはずの私が
どっちも出来なくても人生の主役になれるんだと
心に小さな火が灯った瞬間でした。
女優になりたくて大人になってから養成所に行きました。
貧乏でご飯を食べられずどこに行くにも自転車に乗りアルバイトをいくつも掛け持ちしながら
もやしとパンの耳を食べながらオーディションを受け続けました。
真面目だけが取り柄だった私が見つけた唯一の道でした。
養成所を卒業し大手プロダクションのオーディションに受かりました。
そのプロダクションでは「預かり」でHP に名前が載ることはありませんでした。
月にレッスン料を払いマネージャーは30人に1人つくかどうか
来るのはエキストラ募集のメールばかり
一瞬映るかどうかの世界。
それでも自分の夢だと食らいついていました。
ある時プロダクションの子どもたちに演劇を教えるという仕事が舞い込んできました。
時間もあるしお芝居に関わっていたい。
そう思って軽い気持ちでこの仕事を受けることにしました。
レッスンを始めたらびっくりするほど楽しくて幸せな時間でした。
私はクラスを持つにあたり「一人も辞めさせない」と決めていました。
芸能プロダクションは入っては辞める人がたくさんいます。
みんなライバルだからそれでいいと教える先生もたくさんいます。
ライバルかもしれないけど相手に嫌な印象を与えてもしかたない。
「誰一人欠けてはいけない」
あなたはエキストラじゃないんだから
私は誰も捨てない
そう決めていました。
卒業前の最後のレッスン「何か質問ある?」と聞いたとき一人の生徒が言いました
「はい。ひなた先生みたいになりたいんだけど、どうしたらいいですか?」
一瞬
時が止まったようなそんな気持ちでした。
「先生みたいになりたい。」
そう言われて背中がしゃんとしたことを今でも覚えています。
この子達の目指す先生でいたい。
私自身がその他大勢になってしまってはいけない。
私は、大手のプロダクションを辞め
エキストラの仕事を辞め
個人事務所に移籍を決めました。
そして生徒を持ち育てることを決めました。
そうして今
「ひなたアクターズスクール」が出来ています。
アクターズスクールを運営していくにあたり
私は2つのルールを決めています。
「生徒の気持ちを忘れない。
現場を知っているために自分もステージに立ち続けること。」
「自分の生徒をその他大勢にはしない、
キラキラとした人生を歩めるようにすること。」
みんなと会える日を、楽しみにしています。